ウクライナ戦争について、西側のメディアは2022年2月にロシアが戦車を送り込んだことをもって「プーチンが戦争を始めた」と主張しています。しかし、この結論に飛びつく前に、過去に起きた重要な4つの出来事を理解する必要があります。これを知ることで、戦争の本質がより明確になるでしょう。
1. ウクライナは歴史的に3つの地域に分かれる
ウクライナは西部・中部・東部の3つの地域に分かれ、それぞれ異なる歴史的背景を持っています。
- 西ウクライナ:ハプスブルク帝国(オーストリア帝国)の統治下にあったため、ロシアとの結びつきがほとんどなく、ウクライナ語を話し、宗教的にはカトリックに近い。
- 中部ウクライナ:ウクライナ正教を信仰し、ロシア正教に近い。
- 東部ウクライナ:18世紀後半からロシア人が移住し、ロシア語を話し、ロシア正教を信仰する住民が多い。この地域は「ノボロシア(新ロシア)」と呼ばれ、ロシア文化圏の一部として発展。
このように、ウクライナという国は歴史的に異なる3つの地域が無理に統合されたものであり、その分裂は現在の戦争の根底にある問題の一つです。
2. ソ連時代の政策が対立を生んだ
1922年、ソ連のレーニンとトロツキーはウクライナを独立共和国として成立させました。しかし、その際に意図的に東部のロシア系住民とウクライナ系住民を混ぜる形で国境を設定しました。これは、ウクライナ国内の世論を分裂させ、ソ連共産党が統治しやすくするためでした。
また、1945年にはスターリンが西ウクライナをウクライナ共和国に統合。この統合により、ロシアとの関わりがほとんどなかった西ウクライナの住民の間で、ロシアへの反感が強まり、ウクライナ内部での対立が深まりました。
3. NATO拡大とアメリカの介入
2008年、アメリカのブッシュ政権はウクライナをNATOに加盟させる方針を発表。これに対し、ドイツのメルケル首相は「ウクライナをNATOに入れればロシアと戦争になる」と警告。しかし、アメリカはこの警告を無視し、ウクライナのNATO加盟を進めました。
2014年、オバマ政権下でアメリカ国務省のビクトリア・ヌーランドが関与し、ウクライナで親ロシア派のヤヌコビッチ大統領を追放するクーデターが発生。このクーデターの音声記録がロシアによって盗聴され、ヌーランドが「次の首相はヤツェニュクにしろ」と指示していたことが明らかになりました。
このクーデターの結果、ウクライナの政権は親欧米派に変わり、ロシアとの対立が激化しました。
4. ミンスク協定とウクライナの挑発
2015年、ロシア・ウクライナ・ドイツ・フランスの4カ国が「ミンスク協定2」を締結。これは東部ウクライナのロシア系住民に自治権を与える内容でした。しかし、2022年にメルケル元首相とフランスのオランド元大統領が「ミンスク協定は時間稼ぎのためだった」と発言。つまり、西側諸国は最初から協定を守るつもりがなく、ウクライナの軍備を強化し、ロシアとの戦争に備えていたのです。
さらに、2021年にはウクライナ政府軍が東部ウクライナのロシア系住民を弾圧し、1万6000人以上が殺害されたという話もあります(諸説あり)。これによりプーチンは、ロシア系住民を守るために軍事介入を決断しました。
結論
西側メディアは「プーチンが突然戦争を始めた」と報じていますが、実際には長年の歴史的経緯と西側諸国の挑発が戦争の要因となっています。特に、
- ウクライナの複雑な歴史的背景
- ソ連時代の人為的な国境設定
- NATO拡大政策
- アメリカの政権転覆工作
- ウクライナ政府によるロシア系住民の弾圧
これらを考慮すると、ロシア側の主張にも一定の理があるかもしれません。現状を正しく理解するためには、西側メディアの一方的な報道だけでなく、歴史的な視点からも戦争の背景を冷静に分析していきましょう。